chise's blog

私の気持ちを素直にここに表現させてください。

傷。

傷をふさぐには時間がかかる。
長い時間をかければ、
傷はふさがってくる。

傷は努力で消せるものじゃない。

傷はただ単にふさがって治るものねはなく、その傷が何倍にも輝いて私たちの身体や心全体に新しい力を与えてくれる。

別にケガでも病気でもなく、
なんとなく動けないときもある。
動きの衝動が身体の中に起こらないのだ。
自分を責める。
焦りや不安、自己嫌悪。
平気なつもりで、
平気じゃないときだってある。

そんなときは、じっとしていた方がいいって分かったの。
その嵐が去って、平衡状態になったとき何事もなかったかのように生き生きと働き始める。

自分を責めたことで、
正義感のようなものがでてくる。
でも、それは違っている。

責めることなんて、やめて、
のたーっとしてみるのも案外生理的なのかもしれない。
誰かに理不尽に傷つけられたとき、
容易に許すことはできない。
きっと、心の広い人は許すことができるんだろうな。

許すってね、
「あなたを責めるようなことはしないょ」っていう約束なの。

怒りや悲しみだって「恋に落ちたとき」と同じもの。
自分の力で消すことはできないの。
許すことはあくまでも自分の行動を決めて、律すること。

激しい怒りや悲しみや疑いは、
長い月日を経ると「鎧」になって、
守ってくれるようになるの。

怒りを手放したとき、
突き抜ける虚しさが胸をよぎる。
「怒る人は自信がない人」
「怒らずに叱りましょう」

謝ってほしいとか、
罪を認めてほしいとか、
考えれば考えるほど、
「私に少しでも非はあったかな」なんて思考が止まらなくなる。

私は正しくて、あなたは間違っている。
この結論には大きな壁が自分と相手にできる。

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肝心なことは気持ちを心のどこかにぽっかり出すのことだと思う。
すり替えた感情は、
手をつかずほっておくと、
いつか悲鳴をあげる。

自分の悲しみが無視されなかったとき、
信じることができるのかもしれない。
「痛みを分かってくれない」のは、
自分を傷つけた誰かだけではなく、
自分自身だったのだろう。