chise's blog

私の気持ちを素直にここに表現させてください。

はじめてのひと。

最近、よく昔の自分を話す事がある…

楽しかったことや懐かしいことを話しながら、私はいつも哀しくなる。

触れると哀しくなるものが増えてしまった。

 

私は…「もっと、もっと、自分の事を好きだった。」

今も好き。でも…あの頃と大きさや気持ちが全然違う。

 

私は、なりたくなかった大人になってしまった気がする…

もっと欲のままに生きて、もっと素直に生きて…もっと生きやすかった。

痛みだけでなく、自分の気持ちにさえも鈍感になった。

鈍感にしたのは自分自身。

押し殺した私のせい。

自分の気持ちを無視したせいで、自分の気持ちの事さえも鈍感になってしまったのだ。

雑に扱っちゃいけない大事なものなのにね。

 

制服を着たカップルがすごく眩しかった。

好きな人と手を繋いで、好きな人の隣を歩く。

すごく嬉しそうで、すごく楽しそうで、

なんて美しいんだろう…幸せそうなんだろう…

自分の大切な人に、優しくしたり、されたり…

恋って、こんなにも眩しかったっけ…?

 

 

旅行や恐竜展、水族館に遊園地、お花畑や公園…

どこかに行きたかった訳じゃない。

ただ、私は好きな人とふたりで歩きたかった。

同じものを見て、笑い合いたかった。

遠くても早くそこに行きたくて、全力で駆けって、見つけた瞬間もっともっと早く彼の隣に行きたくて、どこにそんなPOWERがあるのか分からないけど、もっと加速して…どんな場所だって、私にとってそこは一直線だった。

彼の隣についたとき、両足が浮くように嬉しくて…そう!全力で好きだった。

愛してるってちゃんと言葉にする自信があった。

私って、つまらない大人になっちゃったな…

「こんなはずじゃなかった…だから、こうしよう!」って切り替えることがこんなにも重くて、難しかったっけ?

 

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心と体のいちばん無防備で、やわらかいところを全部さらして、ゆだねる。

SEXは最も感じやすくて、最も伝えやすい愛情表現だと思ってた。

言葉では表現できなくて、でも幸福に満たされた気持ちをその時間は感じ合うことができるのに…

心から好きな人となら、こんなにも幸せなことがあるんだって思ってたのに…

 

おばあちゃんの白くて小さな骨拾って、

ひとつずつ壺の中に納めた時のことが頭に浮かんだ…

私はおばあちゃんが大好きだった。

だから、私はしっかり拾うんだって思った。

愛しているから、最後まで精一杯関わり合うんだって思ったんだ…

私の骨は誰が拾ってくれて、

私は誰の骨を拾うんだろう…

骨を拾うって、この世にいる内にできる最後の愛情表現なのかもなー。

 

アホウドリの恋って聞いた事あるかな…?

あるところに、一羽のアホウドリがいました。

人間の設置したメスのデコイを好きになったんだけど、

なんせ模型だから彼がどんなに求愛しても恋は実らない、って話。

(※デコイ=木で作った鳥の模型)

 

きっと、私はデコイに恋をしたアホウドリ

私ばっかりあなたに手を伸ばして…

あんなに涙の出そうなはじめてを私はもう2度と取り戻すことができない。